@Plesio_

@Plesio_ が思ったことを書く

ぼけーっと将来わからないことについて考えるよりも、終わりに向かってることに対して全力になろうって思うとがんばれる気がするこの頃。という。追記1

最近は、Twitterでもぽろっと誰かのことばを見つけて、軽い気持ちで反論でもないけど、なんか揚げ足取るようなPostをしれーっとして、その人の反応を見て楽しんでるような、そんな人としてやっちゃいけないラインの境界線をうろつくのが楽しいと思ってる俺がいたりなんかして、それをどうでも良い他人の目で見たら気持ち悪い行為で。

なんと言いますか。
僕には、隣の芝が青いと、荒らしたくなる側の人間なのでしょうか。
そういう側の人はどれくらいいるんでしょうか。

とりわけ、自分は誰なんでしょうか。
27で死ねたらっておもってますが、それが本当に冗談で言ってるから、みんな真に受けないけど。

もし、俺がガンで、本当に余命があと数年だったことを隠し通して
ひっそりと死んでしまったら。

僕が必至に生き急いで頑張ったすべてに対して吐いた暴言の数々を、
君は後悔するんだろうか????

って

俺だったら後悔しないけど。



ぼけーっと将来わからないことについて悩んでみたってしゃあないけど。終わりに向かってることに対して全力になろうって思うと、なんかがんばれる気がするこの頃。

というのも、組んでるものごとはいつか解散する。

参加したものはいつか脱退か空中分解する。

全力でいたいけど、他人との空気の差を感じる。

ストイックになりたいけどそうにもいかない。

好きな人がいるけど、そういうわけにもいかない。

Andymoriの歌にもあったな。余命でも付いたら、って

余命宣告されて、悲劇の人になって、

そういうの考えたら、なんか幸せに生きられる気がするけど。

僕は弱虫臆病、せこい人だと思うと。
なんか、そういう幸せのボーダー高い気がする。棒高跳びしないとオリンピックレベルで。


願望の話をしてるんじゃない。

40で死んだ兄さんのことを考えてるんだ。
兄さん、正しくはおじだけど。

兄さんが、人生をタイトに凝縮して生きられたのか。
はたまた、そうでないのか。
今となっては考えるのも時間の無駄なんだけど。

40でガンで逝ってしまった兄貴と
80超えてもまだ現役で楽しんでるばっちゃんを見てる。

いろんな生き方があって。
いろんな人生がある。

そんな小学生並の感想しか書けないのも、俺がまだ21で。
彼らの1/2、1/4しか生きてないからかもしれないけど。

俺、いつ死んでも幸せでしたって言えるようにしたいけど。
それを達成するために他人の力を借りるわけにはいかないなって。
ほら、他人との考えの相違で苦しむのはわかってることであって。

結婚かぁ。

子供かぁ。


非合法な政治活動かぁ。

特に理由はないけど、27で本当に死ぬという余命が宣告されたら、
人ってなんでもすごいことが出来る気がする。

でも、そういう余命が宣告される人のバイタリティは
80歳分の一生を残り数年で凝縮させようと必死に生き急ぐから生まれるものであって。
並大抵の人では為し得ないことなんだなってのも思う。

ジェフヒーリーってギタリストのことも思い出した。
彼の最期のCDをまだ聴いてない。
どんな音がするんだろう。
彼、41でガンで死んでるの。

俺の兄貴のことを考えると、ジェフヒーリーのことも一緒に考えてしまう。

俺、40で死ぬのわかってても、多分こういう生き方も出来ないし。
兄貴みたいに、すべてに食って掛かる生き方も出来ないと思う。

俺は弱い。

追記1

あと、「みんな違ってみんな良い」って言い方はありえないよ。
俺が思うに、ある時期の全員がみんな同じ方向を向いて、みんな同じ趣味をたしなむレベルの、気持ち悪い時代があって、それに対するいわば「反対の主張」がみんな違ってみんな良いだと思うの。

それが現代になって、薄れ初めて、それこそみんなバラバラな方向を向くようになってしまって。

そうなると逆に、反社会的な人たちは、「みんな同じ方向にどうやって向かせるか」について必死にならないといけないんじゃないかなって思う。

音楽ならなおさらそうあるべきじゃないかって。
もう、既にそれぞれがそれぞれの信じるものだけ信じるような時代になって、ここで、改めて「みんな違ってみんな良い」なんてものについて説いたって、それは思考の停止でしかないんじゃないかって。

この時代だからこそ、全員に振り向いてもらえるもの。そこまで言わないにしても、複数ジャンルをまたがって、どうすればより多くの人に関心を持ってもらえるかの妥協点を模索するのが、反社会的でロックな考え方なんじゃなきあなぁって。

そんなことをここに吐露して終わる程度の愚痴です。

だから、俺が「あー、それ俺が二年前に好きだったやつなんすよ」って言って、時代を先行したことについて自慢するわけでもなく、ただそう言ってしまうことについて。
それは、ただ、「あ、もう追いついたのか、じゃあ次はどんなのを一足先にたどり着こうか」なんて、いわゆる「今ナウ、ヤングな」生き方をしてるだけで、それを止めることは誰にも出来ないんじゃ無いかなって。

それが広く認知されたらされたで、それについて終わりっってまで行ったら、本当のナウな消費文化だと思う。

でも。ほらやっぱ。壮大。センセーショナルな、ファンファーレと熱狂の時代。僕はそういうのに憧れてるからさ。

こんな時代だからこそ、1つのものをみんなで熱狂できたらって思うんだけど。
あ、だからキュウソネコカミの歌詞の言い方に苛ってしたんだ。
あ、だから○○○○ってあれのあれがあれで
あだからあ
あだ
あーだこーだ。

言うだけの人生。

どうせ、君だって同じことしてるだろ?
共犯だよ